02) 地之巻 ★ この巻のはじめに

 サッカー語訳

サッカーの法則とは、つまりサッカープレーヤーのための法則です。頂点に立とうとするプレーヤーは必ずこれを実践すべきですし、サッカーを楽しむ人たちも知るべきことです。しかし今の日本には、サッカーの法則を完全に身に付けている者はいません。

世の中には様々な法則があります。仏教とは人を助けるための法則ですし、儒教とは正しい論理を導くための法則です。また、どの職業もそれぞれの法則を伝承しています。医者は様々な病を治す法則を、詩人は詩の法則を、後を引き継ぐ人たちに教えています。そして茶道家や弓道家、その他種々のアートやスポーツの専門家、愛好家たちが、それぞれの法則の探求を続けています。しかし、サッカーの法則を真剣に極めようとしている者は、ごく少数です。

サッカープレーヤーは、技術や体力だけでなく思考や精神も鍛える必要があります。たとえ一流プレーヤーになれる才能は無くても、サッカープレーヤーならば自分にとっての最高点に達するよう、サッカーの法則の探求に力を注ぐべきです。

侍の伝統を引き継ぐ日本のサッカープレーヤーの多くは、死をも恐れない精神的な強さの獲得が、自分たちだけに課されている目標と考えています。しかし、そういう精神的な強さを追求しているのはサッカープレーヤーだけではありません。僧侶でも農業従事者でも、男でも女でも人と人との愛情や繋がりを真剣に考えている人たちは皆、そういう真剣さで生きています。

サッカープレーヤーだけに課されている目標とは、サッカーの法則を体得して、どのような試合でもどのような場面でも勝利を得られるようになることです。あらゆる一対一に勝ち、複数の局面でも勝っていくことで、所属チームそして自分がサッカー界の頂点にのし上がっていくのです。

サッカーの法則など習っても、実際の場面では役に立たないと考えている人がいるかもしれません。しかし、実際のあらゆる局面を想定しあらゆる局面で役立つよう、日々の練習の中で研ぎ澄まされていったものだけが、真のサッカーの法則なのです。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

夫、兵法と云事、武家の法也。将たるものハ、とりわき此法をおこなひ、卒たる者も、此道を知べき事なり。今世の間に、兵法の道、たしかにわきまへたると云武士なし。

先、道を顕して有ハ、佛法として人をたすくる道、又、儒道として文の道を糺し、醫者と云て諸病を治する道、或は歌道者とて和歌の道をおしへ、或ハ数寄者、弓法者、其外、諸藝諸能までも、思ひ/\に稽古し、心々にすくもの也。兵法の道にハ、すく人まれなり。

先、武士ハ、文武二道と云て、二の道を嗜む事、是道也。たとひ此道不器用なりとも、武士たるものハ、おのれ/\が分才ほどは、兵の法をバ勤むべき事也。

大かた武士の思ふ心をはかるに、武士ハたゞ、死(る)と云道を嗜む事と覚ゆるほどの儀也。死(る)道におゐてハ、武士ばかりに限らず、出家にても女にても、百姓以下に至迄、義理をしり、恥をおもひ、死する所を思ひきる事は、其差別なきもの也。

武士の兵法をおこなふ道ハ、何事におゐても、人にすぐるゝ所を本とし、或ハ一身の切合に勝、或ハ数人の戦に勝、主君のため我身のため、名をあげ身をもたてんとおもふ、これ兵法の徳を以てなり。

又、世の間に、兵法の道を習ても、實のとき、役にハ立まじきとおもふ心あるべし。其儀におゐては、何時にても役に立様に稽古し、万事に至り、役に立様におしゆる事、是兵法の実の道也。

 

 注釈

特にありません。


03. 4月 2012 by outsidervoice
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