07) 地之巻 ★ サッカーを蹴球と言う理由

サッカー語訳

サッカープレーヤーとは、ボールを蹴る者です。サッカーには、スローイングやヘディングの名手、フリーキックやPKの名手と呼ばれるプレーヤーがいますし、キャッチングやセービングの名手と言われるゴールキーパーもいます。しかし、キック(全般)の名手と呼ばれるプレーヤーはいません。サッカープレーヤーである時点でキックの名手でなくてはならないからです。スローイングやヘディングやフリーキックやキャッチングなどのどれもがサッカーの技術ですが、キックがあってこそのサッカーです。ボールを蹴ったときにサッカーの歴史は始まり、今日まで続いているわけです。

ボールを蹴ることを深く理解すれば、一対一の場面でも一対十の場面でも必ず勝つことができるだけでなく、百人、千人に対して勝つことも思考できるようになります。ですから、私の流派が伝えるサッカーの法則とは、個人から大きな組織に至るまで、サッカーの世界全体を視野においた法則なのです。

儒教、仏教、茶道、礼法、能などの法則は、もちろんサッカーの法則とは違います。しかし、他の法則を知れば必ず新たな発見があります。他の法則、他の世界から広く学びながら、自分が専門とする法則を磨いていくことが大切です。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 兵法二の字の利を知事。

此道におゐて、太刀を振得たるものを、兵法者と世に云傳たり。武藝の道に至て、弓を能射れば、射手と云、鉄炮を得たる者ハ、鉄炮打と云、鑓をつかひ得てハ、鑓つかひと云、長刀を覚てハ、長刀つかひと云。然におゐてハ、太刀の道を覚へたるものを、太刀つかひ、脇指つかひといはん事也。弓鉄炮、鑓長刀、皆是武家の道具なれば、何も兵法の道也。然ども、太刀よりして、兵法と云事、道理也。太刀の徳よりして、世を治、身をおさむる事なれば、太刀ハ兵法のおこる所也。

太刀の徳を得てハ、一人して十人に必勝事也。一人して十人に勝なれば、百人して千人に勝、千人して万人に勝。然によつて、我一流の兵法に、一人も万人もおなじ事にして、武士の法を残らず、兵法と云所也。

道におゐて、儒者、佛者、数奇者、しつけ者、乱舞者、これらの事ハ、武士の道にてハなし。其道にあらざるといへども、道を廣くしれば、物ごとに出合事也。いづれも、人間におゐて、我道々を能ミがく事、肝要也。

 

注釈

兵法のコアを、サッカーのコアに置き換えました。3段落目がの内容がそれまでと少し離れていますが、そのまま訳しました。


04. 4月 2012 by outsidervoice
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