79) 風之巻 ★ 他流のロングボール戦術

サッカー語訳

ロングボールばかり使う流派がありますが、それは弱い流派です。人に勝つ方法を知らないために、敵のプレッシャーが小さいところからボールを蹴りたいという気持ちになり、もっぱら長距離のボールをゴール前に放り込むのです。「大きいことはいいことだ」というのはサッカーを知らない者の言い分です。敵から離れて勝とうとするのは、精神的な弱さですから、この流派を私は弱いと判断するのです。

もし敵が、プレッシャーとなるほどの距離に近づいてきたら、狙った場所へのロングキックができなくなり、さらに敵が近づいてきたら、足元のプレーに自信の無い焦りも重なって、敵にボールを差し出すような自滅的プレーをしてしまいます。

ロングボール戦術を擁護する考えもあるようですが、それらは説得力の無い理屈になっています。ロングボール以外を織り交ぜれば弱くなるのでしょうか。そのなことは決して証明できないでしょう。スペースの問題などでロングボールが不利な場面、使えない場面も多々あります。そこを考えないのは、サッカーに対する不実としか思えません。また、ロングボールを蹴ることを苦手とする非力なプレーヤーもいます。長い滞空時間の浮き球を敵と競って受けるには身体的ハンディのあるプレーヤーもいます。

「大は小を兼ねる」と言う言葉が真実となる場合もあり、あらゆるロングボールを否定するわけではありませんが、ロングボールの方が一気にゴールに近づくためにチャンスも多く、守備にとっても安全という安易な思い込みは強く否定します。

ほとんどのロングボールは量の発想で蹴り出されたもののです。ボールの移動距離の分だけ相手を追い込んでいると考え、移動距離の分だけ安全になったという錯覚ですが、敵に勝つ可能性を高くするのは、プレーの質です。質で考えたときには、自ずとロングボールの本数は減ってきます。

ロングボール戦術のように偏った考えを嫌うのが、私の「二天一流」です。じっくり吟味してください。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他流に大なる太刀をもつ事。

他に大なる太刀をこのむ流あり。我兵法よりして、是を弱き流と見立る也。其故は、他の兵法、いかさまにも人に勝と云利をバしらずして、太刀の長きを徳として、敵相とを所よりかちたきとおもふに依て、長き太刀このむ心有べし。世の中に云、一寸手増りとて、兵法しらぬものゝ沙汰也。然に依て、兵法の利なくして、長きをもつて遠くかたんとする。夫ハ心のよはき故なるによつて、よはき兵法と見立る也。

若、敵相ちかく、組合程の時ハ、太刀の長きほど、打事もきかず、太刀もとをりすくなく、太刀をににして、小わきざし、手ぶりの人に、おとるもの也。

長き太刀このむ身にしてハ、其いひわけは有ものなれども、夫ハ其身ひとりの利也。世の中の實の道より見る時ハ、道理なき事也。長き太刀もたずして、みじかき太刀にてハ、かならずまくべき事か。或ハ其場により、上下脇などのつまりたる所、或ハ脇ざしばかりの座にても、太刀をこのむ心、兵法のうたがひとて、悪敷心也。人により、少力なる者も有、其身により、長かたなさす事ならざる身もあり。

昔より、大ハ小をかなゆるといヘば、むざと長きを嫌ふにはあらず。長きとかたよる心を嫌ふ儀也。

大分の兵法にして、長太刀ハ大人数也。みじかきハ小人数也。小人数と大人数と、合戦ハなるまじきものか。小人数にて勝こそ、兵法の徳なれ。むかしも、小人数にて大人数に勝たる例多し。

我一流におゐて、さやうにかたつきせばき心、嫌事也。能々吟味有べし。

 

注釈

長い刀をロングボールに置き換えることには、もう慣れていただいたと思いますが、ここには、他にも置き換えがあります。さて、正しい訳となっているでしょうか。


07. 4月 2012 by outsidervoice
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