84) 風之巻 ★ 他流が教えるプレー中の凝視

サッカー語訳

ボールから目を離すなという流派もあれば、敵の足や顔の凝視を教える流派もありますが、このような凝視はプレーヤーを混乱させ、サッカーを難しくするだけです。

蹴鞠(けまり)の名人達が、「びんずり」や「おひまり」などの難しい技を、鞠をよく見ないでやっているように、慣れれば見る必要はなくなるのです。曲芸師が、板戸を鼻の上に立てたまま、刀を何本も手玉のように回したりしますが、これも、何度も練習を重ねて、見なくても見える状態になっているからできるのです。

サッカーでも、様々な敵と戦い慣れれば、敵の心の動きも身体や扱うボールの動きも、意識せず見えるようになります。

サッカーにおいて凝視すべきものは、敵の心というかたちのないものです。試合でも、敵チームの集団的な心の動きを凝視するのです。「観」と「見」で言えば、観る目を強くして、敵の心、全体の状況、流れ、そして、それらの変化や景気を観ることで勝利を得るのです。関わる人数の多寡に関わらず、どの局面でも凝視すべきものはありません。小さいところへ集中すれば大きな状況を忘れてしまい、結局迷いが生まれて勝ちを逃してしまいます。これらのことをじっくり吟味して、日々練習に励みましょう。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他流に目付と云事。

目付と云て、其流により、敵の太刀に目を付るも有、又ハ手に目を付る流も有。或ハ顔に目を付、或ハ足などに目を付るも有。其ごとくに、とりわけて目をつけんとしてハ、まぎるゝ心有て、兵法の病と云物になる也。

其子細ハ、鞠をける人ハ、まりによく目をつけねども、びんずりをけ、おひまりをしながしても、けまわりても、ける事、物になるゝと云所あれバ、たしかに目に見るに及ばず。又、ほうかなどするものゝわざにも、其道に馴てハ、戸びらを鼻にたて、刀をいくこしもたまなどに取事、是皆、たしかに目付ハなけれども、不断手にふれぬれバ、おのづからミゆる所也。

兵法の道におゐても、其敵/\としなれ、人の心の軽重を覚へ、道をおこなひ得てハ、太刀の遠近遅速も、皆見ゆる儀也。

兵法の目付ハ、大かた其人の心に付たる眼也。大分の兵法に至ても、其敵の人数の位に付たる眼也。観見二つの見様、観の目強くして、敵の心を見、其場の位を見、大に目を付て、其戦の景氣を見、そのをり節の強弱を見て、まさしく勝事を得事、専也。大小の兵法におゐて、ちいさく目を付る事なし。前にも記すごとく、こまかにちいさく目を付るによつて、大きなる事をとりわすれ、目まよふ心出て、たしかなる勝をぬかすもの也。此利能々吟味して、鍛練有べき也。

 

注釈

特にありません。


07. 4月 2012 by outsidervoice
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