#0025) お金の発明によって、人類は見も知らぬ(趣味も合わない)他人と富を分かち合うことが可能になった。つまり生存することが。だから、求めるのは、このお金の最高の機能を機能させること。

「お金」について考え始めようと思ったことを0021に書きました。まだざっと調べただけですが、コアが見えてきたので、ごくごく大雑把に一度書き留めておきたいと思いました(タイトル文さえ、まとまってませんが・・・)。

詳細を端折ってしまいますが、お金が人類の生存に最も貢献してきたのは(お金の生物学的役割は)、他人と富を分かち合うことを格段に容易にする機能です。同一の通貨あるいは交換可能な通貨が行き渡る範囲を広げることは、つまり協同(協働)社会の規模を大きくすることですが、そうすれば多様な専門家を抱えることができますし、多様な知恵の交換によって発展を加速させることもできます。それはつまり、全体的には、生存を脅かすリスクを小さくしていくことに結びつきます。

「他人と富を分かち合うことを容易にする機能」のわかりやすい例をあげます。
たとえばアフリカの飢餓に対する支援について、基本的に、送るべきはモノではなくお金であることは、少し考えればわかるはずです。距離の離れた他人に最も効率的に富を届けるもの、それがお金なわけです。運搬や保管効率のことなどもありますが、彼ら(つまり他人)の食べ物の好き嫌いなども、送り主は知る必要もありませんしね。事業を起こして将来返済したいというような受け取る側の様々な意志やプライドにも対応することもできます。

 

格差の度合いとは、このお金の最高の機能がうまく働いていない度合いではないでしょうか。もちろん人類史上、お金の機能が完璧に働いたことはありませんが、「金融」や「経済」そしてたぶん「政治」の最大の目的が、人類の生存にとって最も有用なお金の機能の完璧化を目指すことであるのは、自明なことと言えます(これが自明なこととして語られたことも、あまり無さそうですけど・・・)。

 

先日、EUがノーベル平和賞を受賞しましたが、貨幣の統合と平和が密接に結びついていることも、お金のこの機能を考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

 

ロジックがすっ飛んでいる感じがするかも知れませんが、近いうちに、もう少し細かく書く場を作りたいと考えています。マルクスが突こうとしてうまくいかなかったことも、アダム・スミスが「神の見えざる手」として微かに感じたものも、全てが繋がってくるように予想(妄想)しています。

分配を意図していないお金は、妄想でしかありません。本来の意味での「お金」でさえありません。

今の金融教育は、全く的外れだと思いません?お金や金融を安易に敵視することに満足している流派も含めて。

10. 11月 2012 by outsidervoice
Categories: 家庭, 理科, 生活, 社会, 算数, 総合 | Leave a comment

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