#0031) 正直言うと、日本をどうしたらいいかなんて全然わからない。でも投票権はある。で、何が可能か。

娘の前では偉ぶっておきたいとも思うわけですが、そこを我慢して現実に向き合うと、タイトルのようなことになります。

使えないFP2級としては、ちょっと政府予算の中味を見てみようと思ったりしたわけですが、最大の支出である社会保障費用の中味、全然わからないようになっているじゃないですか。良心に訴える「社会保障」という言葉をうまく使っていろいろ見えなくされているのだろうという想像はつきますが・・・、たぶん、ある事に予算を配分するかしないかの基準も明確でなく、それを隠す意図も働いているんだと思います。

それから、1000兆円の借金というか国債、そのほとんどを抱えている銀行と政府との身動きの取れない関係、ちょっとでも崩れたら日本自体が終わる感じがして、どう動かせばいいのかわかりません。

で、各党の選挙公約見ると、誰も具体的方針を持っていないことだけでなく、そもそも実態がどうなっているのかを全く把握していないことが伝わってきます。まあ、政府予算を中心とした巨大なブラックボックス、誰か把握できていると考える方が無理があるかも知れません。今頃、こんなことを認識したと言うのも恥ずかしい感じですが・・・。

しかし、ということは、今、政治家も含めてみんな熱く語っているのは、単なる思い付きとか思い込みですね。ミッションみたいな気持ちよく語れる部分のことしか聞こえてこないわけです。

 

こうして見ると、民主党が行った仕分けが意味をなさなかった理由について、わかるような気がしてきます。そもそも数字がよくわからない状態になっているということと、不足の数字をどこから発見すべきかがわからなかったことと、予算を切る切らないの判断基準を明確にしていないということが、その失敗の原因ではないでしょうか。無駄か無駄でないかを判断する前に、骨格になる数字くらいは揃えて、何を無駄と判断するかの基準を宣言しておかないと、結局、雰囲気に呑まれてしまいます。

無駄な社会保障とは何か。無駄な教育とは何か・・・。逆に何を有益と考えるか、ということでもあるわけですが、その判断基準のところこそが、政治の仕事ですよね。思想が強く関わることですし。数字の発見の方は、経理などとその作業分野の専門家が組んでチェックした方がうまくできそうですし。

で、何を行おうとしているかだけではなく、行うことと行わないことを分ける判断基準について投票できるようになると、選挙後の進行にとっては一番良いのではないでしょうか。特に社会保障についての判断基準が、全体への影響力も含めて重要なのではないでしょうか。

 

29. 11月 2012 by outsidervoice
Categories: 家庭, 生活, 社会, 総合 | Leave a comment

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