#0050) プレーヤー感覚

Live on KEXPのビデオをいろいろと見ていると、プレーヤーの気持ちや感覚をとても良く捉えたというか、感覚を共有できるような撮り方と編集をしたビデオがありました。

カメラの基本ポジションのひとつが観客を見る側(プレーヤーの背後)にあることと、どのカメラも被写体に近いことが、最もわかりやすい特徴ですが、画質の良さも不可欠な要素です(できれば良い通信環境と良いモニターと良い音環境で楽しんでください。この映像の特徴がわかりやすいので)。この映像をモニターいっぱいに拡大して観ていると、きっと、音楽と関係ないタイミングで聞こえるスチルカメラのシャッター音が邪魔に感じると思います。それほど小さい音でも、「自分が作り出している(と感覚してしまう)音や雰囲気」に立ち向かってくる感じがするからです。

観ている人皆が強く意識する違いではないかも知れませんし(コメントしている中の一人は気づいてますね)、他のLive on KEXPの映像で同じ撮り方をしたものがないことから考えると制作者が意識して撮ったものかどうかもわかりませんが、インターネット時代の(というか当事者)感覚と思考を意識したカメラワークがやっと出てきたという感慨を抱いています。ミュージシャンの最初の引き込み方や、それを活かすための編集や、カメラマンの対象の見方や意識の仕方や客観と主観のバランスのとり方や、楽器との一体感の理解などが関係しているので、カメラ位置を真似してもこの感じを引き出せるわけではありませんが、このようなライブビデオだけでなくドキュメンタリーやスポーツのカメラワークも、気づかれることも無いくらい少しずつでしょうけど、変化してくるのではないでしょうか。

で、それはたぶん、標準的なものの見方や感じ方も、気づかれることも無いくらい少しずつ変えるのではないでしょうか。

映像をつくることから少しずつ離れていましたけど、こういうカメラワークを小さな題材でいろいろとテストしてみたくなりました。たぶん、いろんなものが違うものに感じられるのではないかと・・・。

娘には、「魂を撮る方法を考えている」とか言えば、何となく伝わるでしょうか。

21. 1月 2013 by outsidervoice
Categories: 図画工作, 生活, 総合, 音楽 | Leave a comment

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