#0051) 見ているものとは光によってつながっている。聞いているものとは音によってつながっている。そして、快適な暖房のエネルギーは、当然、無から湧いてきたものではなく、どこかからやってきたもの。

言いたいことがまとまらないまま書きます。#0050の続きのような気がしないでもありませんが、そこのところも、よくわかりません。

日揮の誰かの死にも、テロリストの死にも、少なからず、昔に比べれば相当誰でも関わりがある世界(事情がわかっているという意味ではありません)での「客観」風なアプローチは、結局誰にとってもどうでもいい話になりがちなのではないでしょうか。光や音やどこかからかやってきたエネルギーをどう解釈するかなど、つながり具合はいろいろであるわけですが、その、それぞれの特殊事情しか面白くない(それしか知る価値がないように感じる)のは、小学生の作文も同じですね(唐突に#0004のことを思い出しました)。特殊事情のほんとうのところを探求し続けるのは、まったく大変な作業だとは思いますが・・・。キリがないですし・・・、結局よくわからないことがほとんどという状態のままでしょうし・・。

なぞの生物

娘は変な生き物の絵を描きながら、時々ロードレースの練習をしています。父親より遅いことが、少しずつしゃくに障るようになってきたようです。たぶん1ヵ月後くらいには抜けるのではないかと思いますが・・・。

 

23. 1月 2013 by outsidervoice
Categories: 図画工作, 国語, 理科, 生活, 社会, 総合 | Leave a comment

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