#0055) すべてはシェアの話

シェアというと、シェアウェアとかシェアハウスとかルームシェアとかマーケットシェアとか、それぞれの興味の範囲によって浮かべることが違うと思いますが、日本で全体的に忘れられていそうなのが、シェアとは株(券)のことということです。

経済の浮き沈み、荒波を、利益と不利益を皆で共有するという理想が、株式会社という仕組みの核にはあるわけで、欧米企業が株式公開(パブリックになること)を誇らしく思うのもそこに根があるわけですが、シェア(共有)というのは、社会全体の成功と失敗を測る度合いでもあると思いません? その社会がうまく行っているかどうかは、シェアがうまく働いているかどうかで判断できると思いません?結果的な格差の大小の数値評価ではなく、シェアの意志と努力がどれだけ重要視されているかというところで。

ということで、株式会社が経済主体となっている日本のような資本主義社会がうまく行くとは、資本家や企業が多くの人と富をシェアする意志で動き、シェアを機能させる努力を怠っていないということと考えるわけですが、

バブルの時には富の偏在をなすがままにしてきた日本の資本家と企業が、そして、その後の苦しい局面では、シェアというよりマイナスをどこかに押し付けたい気持ちで動いてきたように見える日本の資本家と企業が、資産価値が再び膨らんできた今、シェアのことをどう考えているでしょうか。

まあ、シェアのことなど、ほとんど考えたこともないというのが、実際だとは思いますが・・・。ただ、賃金などへの富の分配の失敗が結局、経済全体や企業経営を圧迫してきた原因という論調が、少しずつ出てきましたね。これからそういうのがどんどん出てきて、シェアへの意志が金持ち達の人格判断基準にもなっていくことを願っています。

 

1票と1株との機能とか効果の違いとか、空売りはマイナス1票たり得るかとかも考えながら。

 

で、娘は何か言いたいことがあるようです。

 

大人はそれでいいのかな

02. 2月 2013 by outsidervoice
Categories: 生活, 社会, 算数, 総合 | Leave a comment

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