#0045) システムとかサイバネティクスとかネットワークとか自然とかの中で

年末に車でダラダラと西に向かい、年始にダラダラと東に向かって戻ってきましたが、寄り道をすればするほど、世界を広く感じるということがわかりました。共通のことと違うことの無数のいろいろ。

その流れの中で例の「モウソウ竹にかなり支配されている荒地」に立って見ると、まあ、そこはそれでとりあえずのシステムとか自然として成り立っているわけで、何かを企画するというより、我侭な自分を受け入れてもらう方法を少しずついろいろ試していく、というようなアプローチが一番マシなように思えるのでした。システムに「結論」という固定があるはずもないので。あるのは無数の「理由(原因)」だけですよね。

で、「理由(原因)」に関する知識が絶対的に不足していますが、その場(システムとかネットワーク)に自分という小さいシステムが気持ちよく溶け込むためには、それらシステムの理由をできるだけ深く、奇妙さを嫌悪することなく知ろうとしなくてはならない、ということではないかと。

 

景色にはあまり興味のない娘は、車に乗っている間、私のiPhoneのアプリで、見知らぬ人々との文字での初めての会話体験をしたのが楽しかったようで、見知らぬ知り合いを増やし続けていました。

竜

 

 

07. 1月 2013 by outsidervoice
Categories: 理科, 生活, 社会 | Leave a comment

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