#0101) 選択の自由は、無限の選択肢の前で、どの程度自由なのだろうか

焼却

切り倒した木や竹を燃やしながら、考えてみました。

抽象的に書くとさらにわからなくなると思いますから、具体的に書きますと、たとえば、子どもが将来の仕事について考えるとき、まだ聞いたこともないようなものも含まれると予想される、星の数ほどある職種から何かを選択しようとする場合と、まずは、酒屋さんとかで家業を継ぐのか継がないのかという選択から入る場合、どちらが、選択の自由を十分に行使する思考を組み立てやすいかということです。

前者の場合、まずは何について考えるかということ自体が、非常に難しいと思いませんか?

後者の場合、継ぐのであればそこで大まかな選択は完結しますし、継がない方を選ぶときには大抵、家業に対する代替案が既に想定(選択)されています。

行使することが難しい無限の可能性のある自由と、行使しやすい限定された自由は、はたしてどちらが自由か(思考できるか、苦しくないか、楽か・・・)という問題です。

もしかしたら、親が自分の仕事を、子どもの将来の選択肢の片側に入れること(もちろん選択されなくても気にする理由は無し)、それが、子どもが一生に渡って自由を謳歌する第一歩なのかも知れないと思うのですが、ただの思考ゲームに感じます?

04. 12月 2013 by outsidervoice
Categories: 国語, 家庭, 生活, 社会, 算数, 総合 | Leave a comment

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