#0094) ゴッホも、食って消化して生きていたわけだから

ゴッホを褒めちぎる権利を得るためにゴッホ展に行くかのような雰囲気があるので、あまり気が進まなかったのですが、娘の要望を受けて行ってきました。

順路の始めの方に展示してある作品群を見て、娘は「おじいちゃんの方がうまいね」と言いましたが、確かに、ゴッホはだんだんと上達していったわけで、つまり、最初の方はうまい絵描きではないわけです。

ゴッホの上達の過程を見ることは、ゴッホ(の名)を拝みに行くよりも、はるかに価値があることのように思いますし、展示も、それを追っていけるようになっていました。

ただ、上達の過程でゴッホがどんなものを食ったか(取り入れたか)については、県立美術館の今回の展示ではなく、ひろしま美術館の常設展示の絵画史の流れに沿った展示の中にゴッホの絵を見つける方が、より具体的に把握できるわけです。今回のゴッホ展のように赤外線での分析なんかよりも。

大まかには、ゴッホは先輩画家たち(主に印象派)の諸々の手法の影響を受けつつ、それを極端なかたちにしていったわけですが、前出の娘のおじいちゃんなどゴッホ後の無数の日曜画家たちは、ゴッホの手法なんかも若い頃にそれなりに消化しているわけです。で、もちろん、それによって、過去の画家たちの試行錯誤の価値が下がるわけではありません。有名無名に関わらず。

ゴッホ展の出口近くの絵を見て、娘はこう言いました。「あ、風が吹いている」。それなんか、娘のおじいちゃんには描けなかった種類の絵です。なぜか、その絵の手法のコアのところは、誰も真似してないような・・・。

 

関係ない娘の絵です。セレブを描いたそうです。

せれぶ

21. 9月 2013 by outsidervoice
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#0093) やはり事件か。あるいは「洒落と進化」その2か。

#0074) サンダルが降ってくる土地で書いた、サンダルが降ってくる件(降ってきたところは誰も見たことがないのですが)についてですが、約60km離れた場所で、同じ現象が起こっているようです(下がその記事)。

記事(13年9月11日)

人間の仕業という可能性が忘れられている感じもしますが、これは本格的な調査をする時期にきたということかも知れませんね。暇な時間に。

この事件のブログでもつくろうかな・・・。すごく暇な時間に。

最後に、#0074の写真をもう一度。

IMG_0515[1]

11. 9月 2013 by outsidervoice
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#0092) 洒落と進化。適応と進化ではなく。

ヒロヘリアオイラガ

ヒロヘリアオイラガという枯れかけの葉に擬態した蛾が、灰色のペンキ塗りの壁にとまっていて、まあ、擬態の意味が全く無い状態であったので、娘と私に見つかり写真を撮られたわけです。

擬態には、これ以上に見事な例がたくさんあるわけですが、そこまでする理由はあるのかと考えると、進化というか適応の過程というか、遺伝子の基本機能みたいなものには、「洒落」みたいなものが組み込まれているようにしか思えません。というか、「適応」より上位の目的(快感?)として「洒落」があるような気もするのです(まあ厳密に考え始めると、「どんどん枯れかけた葉に似てきたヒロヘリアオイラガが、そのことをうれしがっていたと、どうやってわかるのだ?」 とか思うわけですが・・・、今回は、そっち方面、やめときますね)。

人間も「適応」などにはあまり情熱を持てなくて、「洒落」の方に、より意義を感じやすい生物と考えるのは私だけかも知れませんが、他の生物も人間も同じく「洒落」優先ではないかと考えると、良く見るとどれもまちがいなく奇妙である他の生物たちと、なんとなく心が通うような気がするのも私だけでしょうか。少し戻って、皆まちがいなく奇妙である他の「人間」たちとも・・・。

 

というような見解の上に立てば、娘の幸福?を願う親としては、適応することなんかより、「洒落」ることを優先するよう、日々伝えるべきですね。

10. 9月 2013 by outsidervoice
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#0091) 記憶力は、どの程度必要か

娘が満身創痍のクサガメを持ち帰り、数週間教室で飼われた後、我が家のベランダで飼われるようになって2ヶ月くらい経ちます。

ある時から、早朝、私が起きるように水槽の壁を叩き音を立て、餌を要求するようになりました。昼ごろ、そして夕方と、腹が減っているころに水槽に近づくと、人に近づこうと、手前の陸地に駆け上がるようになりました(よく失敗して、ひっくり返り、背泳ぎ状態になります)。餌は人の手からでも食べます。

そういう風に毎日規則正しく餌を与えていたのですが、クサガメは1週間ぐらい餌を食べなくても大丈夫のようなので、1泊ほったらかしで出かけました。

帰ってきたら、どうも、私たちについての記憶が薄れたようで、人への反応は、娘が持ち帰ってきたときと近いものに戻っていました。腹が減っているはずなのに、餌を求めるそぶりもありません。餌を置くと、警戒しつつもガツガツ食べるわけですが・・・。

クサガメの場合、(餌を持ってくる人がいたという)記憶より(誰もいない)現実の方が、簡単に優先するのではないでしょうか。つまりそれは、現実を嘆かなくて済むということでしょうか。これが100年以上も生きたりする理由のひとつかも知れません。

そして翌朝、また、水槽の壁を叩き音を立てるようになりました。

DSC04112

ご覧のように左手の中指がありません。左足の指は全部ありません。尻尾も切れています。が、元気です。

 

15. 8月 2013 by outsidervoice
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#0090) バイオマス発電所を、じいさんたちと待ちながら

バイオマス発電の動きを気にしているのですが、どうも、研究費もらうための研究みたいなのが多くて、待ちくたびれています。

「どんどん伸びる竹とか、下刈りした木とか、マメな人は年に5回も刈っている草とか、伸び放題で木材としては使えず枯れ枝が家の樋を詰まらせる檜とかで、発電できんかいのお」とは、スイカとかぼちゃをくれたじいさんの、太陽光発電に関する会話中の発言。

さて、いくらあれば作れますかね? ガス化とかペレット化とかを考えず、全部ぶっこめるやつを。

09. 8月 2013 by outsidervoice
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