77) 火之巻 ★ この巻のおわりに

サッカー語訳

以上に書いたことは、「二天一流」の鍛錬の場で、常々忘れないようにしていることです。

書き記すのは初めてのことなので、順序が整理されていない感じや、詳細を書き足りない感じがあります。しかし、サッカーを学ぶ人の指針となる書となったのではないでしょうか。

私は若い頃からずっと、サッカーの法則を掴み出そうと、思いついたすべての技術を実際にボールと身体を使って試し、他の様々な流派のスタイルや戦術の分析も行ってきました。しかし他の流派は、それらしいことを語っているだけの戦術論に過ぎなかったり、細かいだけの技術論であったり、目を引くだけが目的であったりして、サッカーの真実に触れるものはひとつもありません。もちろん、そういう流派を習う場合でも、身体や心をある程度鍛えることはできます。しかし、そこで伝えられている間違いは、伝染病のように世代を超えて広まり、真のサッカーを廃れさせてしまいます。

サッカーの真実とは、敵と戦って勝つことです。このことがないがしろになってはいけません。「二天一流」の知に従って正しいことを行えば、必ず勝利が待っています。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

右、書付る所、一流劔術の場にして、たへず思ひよる事のミ、書顕し置もの也。

今始て此利を記すものなれバ、跡先と書紛るゝ心ありて、こまやかにハ、いひわけがたし。さりながら、此道をまなぶべき人のためにハ、心しるしになるべきもの也。

我若年より以來、兵法の道に心をかけ、劔術一通りの事にも、手をからし、身をからし、いろ/\さま/\の心になり、他の流々をも尋みるに、或ハ口にていひかこつけ、或ハ手にてこまかなるわざをし、人めによき様にみすると云ても、一つも實の心にあるべからず。勿論、かやうの事しならひても、身をきかせならひ、心をきかせつくる事と思へども、皆是道のやまひとなりて、のち/\迄もうせがたくして、兵法の直道、世にくち、道のすたるもとゐ也。

劔術、實の道になつて、敵と戦勝事、此法聊かはる事有べからず。我兵法の智力を得て、直なる所を行ふにおゐてハ、勝事うたがひ有べからざるもの也。

 

注釈

特にありません。


14. 2月 2012 by outsidervoice
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78) 風之巻 ★ この巻のはじめに

サッカー語訳

他の流派の考え方やスタイルについて、この風之巻に書いていきます。他の流派を知らないで自分の流派の良し悪しの判断はできません。

他の流派の中には、ロングボールと高さを武器としてそれのみに頼るものもあれば、ショートパスだけでゲームを組み立てようと考えているものもあります。あるいは様々な個人技のバリエーションの多さを誇ったり、システムを細かく分類してそれぞれに名前をつけて伝授していたりする流派もありますが、このようなことはすべて、真のサッカーとは関係ありません。では、何が良くて何が悪く、どんなことが本当に勝利につながることなのか、そして、「二天一流」は他の流派とどのように違うのか。この巻では、そういうことを書き表していきます。

他の流派の多くは、サッカーを金儲けの手段として、目を引く華やかな売り物にしつらえていますが、これはまったく正しい道ではありません。また、サッカーを個人技で成り立つものと小さくとらえ、キックを練習し、身体を俊敏にし、細かい足技ができるようになりさえすれば勝つことができると勘違いしています。

他の流派の足らないところを、ひとつひとつここに書き記していきますから、じっくりと読んで、「二天一流」がいかに優れているかを、しっかり理解してください。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

兵法、他流の道を知る事。

他の兵法の流々を書付、風之巻として、此巻に顕す所也。他流の道をしらずしてハ、一流の道、慥にわきまへがたし。

他の兵法を尋見るに、大きなる太刀をとつて、強き事を専にして、其わざをなすながれも有。或は小太刀といひて、みじかき太刀をもつて、道を勤むるながれも有。或ハ、太刀かずおほくたくみ、太刀の搆を以て、表といひ奥として、道を傳ふる流も有。これミな實の道にあらざる事也。此巻の奥(内)に慥に書顕し、善悪利非をしらする也。我一流の道理、各別の儀也。

他の流々、藝にわたつて身すぎのためにして、色をかざり、花をさかせ、うり物にこしらへたるによつて、實の道にあらざる事か。又、世の中の兵法、劔術ばかりにちいさく見立、太刀を振ならひ、身をきかせて、手のかるゝ所をもつて、勝事をわきまへたる物か。いづれもたしかなる道にあらず。

他流の不足なる所、一々此書に書顕す也。能々吟味して、二刀一流の利をわきまゆべきもの也。

 

注釈

今までと同じく、刀の長さをパス(キック)の距離に置き換えています。


13. 2月 2012 by outsidervoice
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79) 風之巻 ★ 他流のロングボール戦術

サッカー語訳

ロングボールばかり使う流派がありますが、それは弱い流派です。人に勝つ方法を知らないために、敵のプレッシャーが小さいところからボールを蹴りたいという気持ちになり、もっぱら長距離のボールをゴール前に放り込むのです。「大きいことはいいことだ」というのはサッカーを知らない者の言い分です。敵から離れて勝とうとするのは、精神的な弱さですから、この流派を私は弱いと判断するのです。

もし敵が、プレッシャーとなるほどの距離に近づいてきたら、狙った場所へのロングキックができなくなり、さらに敵が近づいてきたら、足元のプレーに自信の無い焦りも重なって、敵にボールを差し出すような自滅的プレーをしてしまいます。

ロングボール戦術を擁護する考えもあるようですが、それらは説得力の無い理屈になっています。ロングボール以外を織り交ぜれば弱くなるのでしょうか。そのなことは決して証明できないでしょう。スペースの問題などでロングボールが不利な場面、使えない場面も多々あります。そこを考えないのは、サッカーに対する不実としか思えません。また、ロングボールを蹴ることを苦手とする非力なプレーヤーもいます。長い滞空時間の浮き球を敵と競って受けるには身体的ハンディのあるプレーヤーもいます。

「大は小を兼ねる」と言う言葉が真実となる場合もあり、あらゆるロングボールを否定するわけではありませんが、ロングボールの方が一気にゴールに近づくためにチャンスも多く、守備にとっても安全という安易な思い込みは強く否定します。

ほとんどのロングボールは量の発想で蹴り出されたもののです。ボールの移動距離の分だけ相手を追い込んでいると考え、移動距離の分だけ安全になったという錯覚ですが、敵に勝つ可能性を高くするのは、プレーの質です。質で考えたときには、自ずとロングボールの本数は減ってきます。

ロングボール戦術のように偏った考えを嫌うのが、私の「二天一流」です。じっくり吟味してください。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他流に大なる太刀をもつ事。

他に大なる太刀をこのむ流あり。我兵法よりして、是を弱き流と見立る也。其故は、他の兵法、いかさまにも人に勝と云利をバしらずして、太刀の長きを徳として、敵相とを所よりかちたきとおもふに依て、長き太刀このむ心有べし。世の中に云、一寸手増りとて、兵法しらぬものゝ沙汰也。然に依て、兵法の利なくして、長きをもつて遠くかたんとする。夫ハ心のよはき故なるによつて、よはき兵法と見立る也。

若、敵相ちかく、組合程の時ハ、太刀の長きほど、打事もきかず、太刀もとをりすくなく、太刀をににして、小わきざし、手ぶりの人に、おとるもの也。

長き太刀このむ身にしてハ、其いひわけは有ものなれども、夫ハ其身ひとりの利也。世の中の實の道より見る時ハ、道理なき事也。長き太刀もたずして、みじかき太刀にてハ、かならずまくべき事か。或ハ其場により、上下脇などのつまりたる所、或ハ脇ざしばかりの座にても、太刀をこのむ心、兵法のうたがひとて、悪敷心也。人により、少力なる者も有、其身により、長かたなさす事ならざる身もあり。

昔より、大ハ小をかなゆるといヘば、むざと長きを嫌ふにはあらず。長きとかたよる心を嫌ふ儀也。

大分の兵法にして、長太刀ハ大人数也。みじかきハ小人数也。小人数と大人数と、合戦ハなるまじきものか。小人数にて勝こそ、兵法の徳なれ。むかしも、小人数にて大人数に勝たる例多し。

我一流におゐて、さやうにかたつきせばき心、嫌事也。能々吟味有べし。

 

注釈

長い刀をロングボールに置き換えることには、もう慣れていただいたと思いますが、ここには、他にも置き換えがあります。さて、正しい訳となっているでしょうか。


12. 2月 2012 by outsidervoice
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80) 風之巻 ★ 他流の、シュートを強く打つ教え

サッカー語訳

強いシュート、弱いシュートという区別はあるはずのないことです。強く打とうとしたシュートは荒いばかりで点になりません。また、脚を強く振れば早いシュートが打てるわけでもありません。それに、シュートを打つときに、その強弱を考えてはいません。強い気持ちで打とうとも、もちろん弱気に打とうとも考えてはいません。ただ、ゴールに入れようとしているだけです。

シュートを強く打とうとすれば、力みすぎてよい結果をもたらしません。シュートを防ごうとする敵にとっても、ゴールで待ち構えるキーパーにとっても対応しやすいタイミングにもなります。

試合全体で考えても、強く力を入れたプレー一辺倒というのは、相手が非常に対応しやすいものですし、味方の連関をつくる正確なプレーを壊しがちです。

道理なしで勝つことはできません。少しも無理な事をしようとは考えず知力で勝利を得るのが、私の「二天一流」です。よく考えてみましょう。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他流におゐてつよミの太刀と云事。

太刀に、強き太刀、よはき太刀と云事ハ、あるべからず。強き心にて振太刀ハ、悪敷もの也。あらき斗にてハ勝がたし。又、強き太刀と云て、人を切時にして、むりに強くきらんとすれバ、きられざる心也。ためし物などきる心にも、強くきらんとする事あしゝ。誰におゐても、かたきときりあふに、よはくきらん、つよくきらん、と思ものなし。たゞ人をきりころさんと思ときハ、強き心もあらず、勿論よはき心もあらず、敵のしぬる程とおもふ儀也。

若ハ、強みの太刀にて、人の太刀強くはれバ、はりあまりて、かならずあしき心也。人の太刀に強くあたれバ、我太刀も、おれくだくる所也。然によつて、強ミの太刀などゝ云事、なき事也。

大分の兵法にしても、強き人数をもち、合戦におゐて強くかたんと思ヘバ、敵も強き人数を持、戦強くせんと思ふ。夫ハ何も同じ事也。

物毎に、勝と云事、道理なくしてハ、勝事あたはず。我道におゐてハ、少も無理なる事を思はず、兵法の智力をもつて、いか様にも勝所を得る心也。能々工夫有べし。

 

注釈

特にありません。


11. 2月 2012 by outsidervoice
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81) 風之巻 ★ 他流のショートパス戦術

サッカー語訳

ショートパスだけを使って勝とうとするのは真のサッカーではありません。長短のパス、そしてドリブルには、それぞれの利点がありますし、プレーヤーの適正によってパスの比重も変わってきます。身体の大きな選手はロングキックを得意とする傾向がありますが、ショートパス戦術はこういう選手を活かすことができません。

また、ショートパスのみで敵の隙間を縫って行こうと思うのは偏りのある狙いです。そこに拘っていると敵に追われ縺れた状態になっていきます。それに、完全な密集に入り込むと、ショートパスでも出すことはできません。ショートパスに習熟していると思っているプレーヤーは、混戦の中でも敵を振り払って自由に動き続けることができると思いがちですが、実際は徐々に敵に追い込まれ、勝利にはつながらないものです。

隙間を縫って行きたいのならば、強引に敵に向かって行くドリブルを仕掛けて敵がうろめくのを狙う方が、成功の可能性は高いでしょう。

試合でも、敵をなんとかすり抜けることに労力を使うのではなく、様々な動きを主導的に組み合わせて敵を翻弄し、攻め落とせるときに一気に攻め落とすのが、サッカーの勝ち方です。

普段の生活でも、うまくすり抜けよう掻い潜ろうという行動が習慣になっていると、結局はいつも人に追い回される立場になってしまいます。

サッカーの法則とは、まっすぐに正しいものです。サッカーとは、正しい戦い方で敵を振り回すもの、敵を従属させる気持ちで行うものです。じっくり吟味してください。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他流にミじかき太刀を用る事。

みじかき太刀ばかりにてかたんと思ところ、實の道にあらず。昔より太刀、刀と云て、長きとみじかきと云事を顕し置也。世の中に、強力なるものは、大なる太刀をもかろ/\と振なれば、むりにみじかきをこのむ所にあらず。其故ハ、長きを用て、鑓、長刀をも持もの也。

短き太刀をもつて、人の振太刀のすき間を、きらん、飛入ん、つかまへん、などゝ思ふ心、かたつきて悪し。又、すき間をねらふ所、万事後手に見ヘて、もつるゝと云心有て、嫌事也。若、みじかきものにて、敵へ入、くまん、とらんとする事、大敵の中にて役にたゝざる心也。ミじかきにて仕ひ得たるものハ、大勢をもきりはらはん、自由に飛、くるばん、と思ふとも、みなうけ太刀と云(もの)になりて、とり紛るゝ心有て、たしかなる道にて(は)なき事也。

同じくハ、我身は強く直にして、人を追まはし、人にとびはねさせ、人のうろめく様にしかけて、たしかに勝所を専とする道也。

大分の兵法におゐても、其利有。同じくハ、人数かさをもつて、かたきを矢塲にしほし、則時に責つぶす心、兵法の専也。

世の中の人の、物をしならふ事、平生も、うけつ、かはいつ、ぬけつ、くゞつゝしならへバ、心、道にひかされて、人にまはさるゝ心有。

兵法の道、直に正しき所なれバ、正利をもつて、人を追廻し、人をしたがゆる心、肝要也。能々吟味有べし。

 

注釈

特にありません。


10. 2月 2012 by outsidervoice
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82) 風之巻 ★ 他流が売りにしている個人技のバリエーション

サッカー語訳

個人技のバリエーションの多さを誇示するのは、それが初心者を引き付ける売り物になるからです。しかし、それは正しいサッカーではありません。

敵を切る方法がいろいろあると思えば、迷いになります。サッカープレーヤーもサッカープレーヤー以外の人も、目の前のものを切るのに、多種多様な技を必要とすることはありません。よく切れるもので切るだけであって、切れるものをたくさん持っていることは重要ではありません。

もちろん、場所や状況やスペースの空き具合などにより、使える技使えない技があり、ある程度のバリエーションは必要です。しかしそれでも、水之巻で書いた5つのボールの位置への対応をベースに必要なものを増やしていけば良く、バリエーションの豊富さを求めて、無理な足の使い方、身体の使い方を工夫する労力は、勝つための努力とは異なります。

私の「二天一流」では、自分たちの身体や心はまっすぐなままに、敵の方が無理な態勢や精神状態にならざるを得ない状態にして勝ちます。じっくり吟味してください。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他流に太刀数多き事。

太刀かず数多にして、人に傳る事、道をうり物にしたてゝ、太刀数多くしりたると、初心のものに深くおもはせんためなるべし。

是、兵法に嫌ふこゝろ也。其故ハ、人をきる事色々有と思ふ所、まよふ心也。世の中におゐて、人をきる事、替る道なし。しるものも、しらざるものも、女童子迄も、打、たゝき、切と云道ハ、多くなき所也。若、かはりてハ、つくぞ、なぐぞ、と云より外ハなし。先きる所の道なれバ、かずの多かるべき子細にあらず。

されども、場により、ことに随ひ、上脇などのつまりたる所などにてハ、太刀のつかへざるやうに持道なれバ、五方とて、五つの数ハ有べきもの也。夫より外に、とりつけて、手をねぢ、身をひねりて、飛、ひらき、人をきる事、實の道にあらず。人をきるに、ねぢてきられず、ひねりてきられず、飛てきられず、ひらいてきられず、かつて役に立ざる事也。

我兵法におゐてハ、身なりも心も直にして、敵をひずませ、ゆがませて、敵の心のねぢひねる所を勝事、肝心也。(能々吟味有べし)

 

注釈

「切る」という言葉の使い方については、水之巻を振り返ってみてください。


09. 2月 2012 by outsidervoice
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83) 風之巻 ★ 他流のシステム信仰

サッカー語訳

システムを最重要のことと考えるのは、間違いです。

きっちりとシステムを組めるのは、敵がいないときだけです。「今のサッカーではこのシステムがベストである」などと語る者がいますが、勝負の世界にそういう確固たる決定事項はありません。勝負とは、その瞬間に敵が最も嫌がることを企て続けることです。

この世界でシステムというと、通常は動かないものです。流動的ではなく強固なものです。システムの意識が強いと、敵の先手を待ち構える気持ちが強くなってしまいます。サッカーとは、こちらが主導的に敵のシステムを揺り動かし、敵のシステムが予期していないことを仕掛け、うろめかし、むかつかせ、怯えさせ、その混乱の中に最適なタイミングを見つけて勝つものです。

ですから私の流派では、「切り方は有って無い」と言うのと同じく、「システムは有って無い」のです。

試合前には、敵のシステムと動き方を想定して作戦を立て準備をしますが、システムへの意識の強い敵は動き方が読めるので、主導権を取るための作戦立てが簡単です。主導権が試合の結果をいかに左右するかは言うまでもないでしょう。

システム信仰とはつまり、良いシステムさえ組めば敵の攻撃はその網を避けることができず、ボールを奪って攻めとなれば敵が守りきれないパスがつながってやがてゴールになるというような、大雑把で安易な考えではないでしょうか。じっくり吟味してください。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他(流)に太刀の搆を用る事。

太刀の搆を専にする事、ひがごと也。

世の中に搆のあらんハ、敵のなき時の事なるべし。其子細ハ、むかしよりの例、今の世のさたなどゝして、法例を立る事は、勝負の道にハ有べからず。其相手の悪敷様にたくむ事也。

物毎に、搆と云事ハ、ゆるがぬ所を用る心也。或ハ城を搆、或ハ陳を搆などハ、人にしかけられても、強くうごかぬ心、是常の儀也。
[兵法勝負の道におゐてハ、何事も先手/\と心がくる事也。かまゆるといふ心ハ、先手を待心也。能々工夫有べし]
兵法勝負の道ハ、人の搆をうごかせ、敵の心になき事をしかけ、或は敵をうろめかせ、或ハむかつかせ、又ハおびやかし、敵のまぎるゝ所の拍子の利をうけて、勝事なれバ、搆と云後手の心を嫌也。

然故に、我道に有搆無搆と謂て、搆ハ有て搆ハなきと云所なり。

大分の兵法にも、敵の人数の多少を覚へ、其戦場の所をうけ、我人数の位を知り、其徳を得て、人数をたて、戦をはじむる事、是合戦の専也。人に先をしかけられたる事と、我先をしかくる時ハ、一倍も替る心也。

太刀を能かまへ、敵の太刀を能うけ、能はると覚るハ、鑓長刀をもつて、さくにふりたると同じ、敵を打ときは、又、さく木をぬきて、鑓長刀につかふ程の心也。能々吟味有べき也。

 

注釈

構えをシステムに置き換えました。


08. 2月 2012 by outsidervoice
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84) 風之巻 ★ 他流が教えるプレー中の凝視

サッカー語訳

ボールから目を離すなという流派もあれば、敵の足や顔の凝視を教える流派もありますが、このような凝視はプレーヤーを混乱させ、サッカーを難しくするだけです。

蹴鞠(けまり)の名人達が、「びんずり」や「おひまり」などの難しい技を、鞠をよく見ないでやっているように、慣れれば見る必要はなくなるのです。曲芸師が、板戸を鼻の上に立てたまま、刀を何本も手玉のように回したりしますが、これも、何度も練習を重ねて、見なくても見える状態になっているからできるのです。

サッカーでも、様々な敵と戦い慣れれば、敵の心の動きも身体や扱うボールの動きも、意識せず見えるようになります。

サッカーにおいて凝視すべきものは、敵の心というかたちのないものです。試合でも、敵チームの集団的な心の動きを凝視するのです。「観」と「見」で言えば、観る目を強くして、敵の心、全体の状況、流れ、そして、それらの変化や景気を観ることで勝利を得るのです。関わる人数の多寡に関わらず、どの局面でも凝視すべきものはありません。小さいところへ集中すれば大きな状況を忘れてしまい、結局迷いが生まれて勝ちを逃してしまいます。これらのことをじっくり吟味して、日々練習に励みましょう。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他流に目付と云事。

目付と云て、其流により、敵の太刀に目を付るも有、又ハ手に目を付る流も有。或ハ顔に目を付、或ハ足などに目を付るも有。其ごとくに、とりわけて目をつけんとしてハ、まぎるゝ心有て、兵法の病と云物になる也。

其子細ハ、鞠をける人ハ、まりによく目をつけねども、びんずりをけ、おひまりをしながしても、けまわりても、ける事、物になるゝと云所あれバ、たしかに目に見るに及ばず。又、ほうかなどするものゝわざにも、其道に馴てハ、戸びらを鼻にたて、刀をいくこしもたまなどに取事、是皆、たしかに目付ハなけれども、不断手にふれぬれバ、おのづからミゆる所也。

兵法の道におゐても、其敵/\としなれ、人の心の軽重を覚へ、道をおこなひ得てハ、太刀の遠近遅速も、皆見ゆる儀也。

兵法の目付ハ、大かた其人の心に付たる眼也。大分の兵法に至ても、其敵の人数の位に付たる眼也。観見二つの見様、観の目強くして、敵の心を見、其場の位を見、大に目を付て、其戦の景氣を見、そのをり節の強弱を見て、まさしく勝事を得事、専也。大小の兵法におゐて、ちいさく目を付る事なし。前にも記すごとく、こまかにちいさく目を付るによつて、大きなる事をとりわすれ、目まよふ心出て、たしかなる勝をぬかすもの也。此利能々吟味して、鍛練有べき也。

 

注釈

特にありません。


07. 2月 2012 by outsidervoice
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85) 風之巻 ★ 他流の様々なステップ

サッカー語訳

ステップには、浮き足、飛び足、跳ねる足、踏みつめる足など、いろいろと特殊なものがありますが、私の流派では、これらは悪いステップとしています。

試合になると、どうしても気が焦って足が浮いてしまう傾向があります。重心を正しく保つためには、浮き足をしないと心に命じておきます。また、飛び足は、飛ぶ動作に入るとき身体が固まり、敵の動きに対応できない時間ができてしまいます。飛ぶことは癖になりがちで、そうなれば敵が組みしやすい機会を増やすことになってしまいます。一見躍動感のあるように見える跳ねる足も、落ち着きが無いだけで、メリットはありません。踏みつめる足は、じっと待つ足であり、特に避けたい足の状態です。それに、このような特殊なステップは、試合で敵と向き合った場面では自由に使いこなせないという欠点もあります。

私の「二天一流」では特殊なステップはしません。道を歩む時といつも同じです。敵のリズムに応じて速く動く時にも、平常の体勢を維持して一歩一歩無駄なく縺れないように左右交互に進みます。

足を運ぶタイミングと速さのコントロールは重要です。敵の心を読まないまま、無闇に早いタイミングで仕掛けても勝てませんし、また、敵が動揺して崩れかかっているのにゆっくりと進んでは、決着をつけることはできません。動揺して崩れるタイミングを逃さず、敵に余裕を与えないスピードで足を運ぶことが大切です。よく練習してみましょう。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他流に足つかひ有事。

足の踏様に、浮足、飛足、はぬる足、踏つむる足、からす足などいひて、いろ/\さつそくをふむ事有。是ミな、わが兵法より見てハ、不足に思ふ所也。

浮足を嫌ふ事、其故ハ、戦になりてハ、かならず足のうきたがるものなれバ、いかにもたしかに踏道也。

又、飛足をこのまざる事、飛足ハ、とぶにおこり有て、飛ていつく心有、いくとびも飛といふ利のなきによつて、飛足悪し。又、はぬる足、はぬるといふ心にて、はかのゆかぬもの也。踏つむる足ハ、待足とて、殊に嫌ふ事也。其外からす足、いろ/\のさつそくなど有。或ハ、沼ふけ、或ハ、山川、石原、細道にても、敵ときり合ものなれバ、所により、飛はぬる事もならず、さつそくのふまれざる所有もの也。

我兵法におゐて、足に替る事なし。常に道をあゆむがごとし。敵のひやうしにしたがひ、いそぐ時ハ、静なるときの身のくらゐを得て、たらずあまらず、足のしどろになきやうに有べき也。

大分の兵法にして、足をはこぶ事、肝要也。其故ハ、敵の心をしらず、むざとはやくかゝれバ、ひやうしちがひ、かちがたきもの也。又、足ふみ静にてハ、敵うろめき有てくづるゝと云所を見つけずして、勝事をぬかして、はやく勝負付ざるもの也。うろめき崩るゝ場を見わけてハ、少も敵をくつろがせざるやうに勝事、肝要也。能々鍛錬有べし。

 

注釈

特にありません。


06. 2月 2012 by outsidervoice
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86) 風之巻 ★ 他流の速さ偏重

サッカー語訳

速さを追求するサッカーは、正しいサッカーではありません。速さ遅さを感じるのは、その時の適切なリズムとずれているからです。どの分野でも上達した人の行動は速く見えることはありません。

能舞で、うまい人の歌に下手な人が合わせようとすると、遅れる感じがして忙しく聞えるものですし、鼓太鼓でゆっくりとした「老松」を打つときも、下手な人はなぜか遅れてしまって速く打とうと焦ってしまいます。一方、「高砂」は速いテンポの曲ですが、速くしようとすると「速きはこける」と言うように結局間に合わなくなります。上手な人のすることは、ゆっくりに見えてリズムがぴったりと合っているのです。物事を思うように完成させるには、速さではなくリズムに合うことが大切なのです。

また、「はや道」とも言われている飛脚は一日に160~200キロも自分の足で移動しますが、朝から晩まで速く走っているからこの移動が可能なのではありません。速く走ることだけ考えている者には不可能な仕事です。逆に言えば、リズムをマスターすれば、速さと持続力を同時に実現することも可能なのです。

試合では、そもそも速い動作が不可能な場面が多くあります。また速く脚を振ろうとするキックが良い結果を生まないことは水之巻に書きました。火之巻で書いたように「枕を押さえる」ことができれば、試合展開で焦る必要はありません。

もし、敵が無闇に速い展開に持ち込もうとする場合は、それに背いたゆったりとした展開で対抗します。巻き込まれずこちらのリズムで進めることが大切です。

日々、考えながら鍛錬を続けましょう。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他流にはやき事を用る事。

兵法のはやきと云所、実の道にあらず。はやきといふ事ハ、物毎のひやうしの間にあはざるによつて、はやき遅きと云こゝろ也。其道上手になりてハ、はやく見ヘざるもの也。

たとへバ、人にはや道と云て、一日に四十五十里行者も有。是も、朝より晩迄、はやくはしるにてハなし。道のふかんなるものハ、一日走様なれども、はかゆかざるもの也。

乱舞の道に、上手(の)うたふ謡に、下手のつけてうたへバ、おくるゝこゝろ有て、いそがしきもの也。又、鼓太鼓に老松をうつに、静なる位なれども、下手ハ、これもおくれ、さきだつこゝろ也。高砂ハ、きうなる位なれども、はやきといふ事、悪し。はやきハこける、と云て、間にあはず。勿論、おそきも悪し。これ、上手のする事ハ、緩々と見ヘて、間のぬけざる所也。諸事しつけたるものゝする事ハ、いそがしくみヘざるもの也。此たとへをもつて、道の利をしるべし。

殊に兵法の道におゐて、はやきと云事悪し。是も、其子細は、所によりて、沼ふけなどにてハ、身足ともにはやく行がたし。太刀ハ、いよ/\はやくきる事悪し。はやくきらんとすれバ、扇小刀の様にハあらで、ちやくときれバ、少もきれざるもの也。能々分別すべし。

大分の兵法にしても、はやく急ぐ心わるし。枕を押ゆると云心にてハ、すこしもおそき事ハなき事也。又、人のむざとはやき事などにハ、そむくと云て、静になり、人につかざる所、肝要也。

此こゝろ、工夫鍛錬有べき事也。

 

注釈

ロジックの流れを自然にするために、原文の2段落目と3段落目を入れ替えて訳しました。また、くどくなり過ぎるのを避けようと思い、4段落目と5段落目を結合させて訳しました。


05. 2月 2012 by outsidervoice
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87) 風之巻 ★ 他流が分けている口と奥

サッカー語訳

サッカーにおいて、何が「口」(入門コース)で何が「奥」(上級者コース)なのでしょうか。様々な分野が、極意とか秘伝などという上級者のみが知り得る「奥」を設定していますが、敵との勝負に、「口」でボールを競り「奥」で勝負を決めるというようなことはあり得ません。

私の「二天一流」では、初心者には習得しやすいところから練習してもらい、理解しやすい考え方を先に教えて、さらに深いところはその人の心の準備が整ったところで伝えるようにしています。しかしその差は、主に対処すべき状況の違いであり「奥」と「口」という区別ではありません。

また、山の奥に行こうと思っていたのに、いつの間にか入口に居たということはよくあることです。どの分野でも、「奥」と考えられているものと「口」と考えられているものを順序良く使えることはなく渾然としているものです。ましてやサッカーでは、「口」と「奥」を区別することは不可能です。

ここで習ったことを他流に教えないという守秘義務は「二天一流」にはありません。ここでは、サッカーを学ぶ人の知力に応じて正しいことを率直に教え、正しいサッカーの妨げとなる様々な迷いや悪癖を捨てるように促し、プレーヤーが自分の力でサッカーの法則を獲得し確信を持つに至ることを目指しているます。

しっかりと鍛錬を続けてください。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

一 他流に奥表と云事。

兵法の事におゐて、いづれを表と云、いづれを奥といはん。藝により、ことにふれて、極意秘傳など云て、奥口あれども、敵とうちあふ時の利におゐてハ、表にて戦、奥を以てきると云事にあらず。

わが兵法のおしへ様ハ、始て道を学ぶ人にハ、其わざのなりよき所を、させならはせ、合点のはやくゆく利を、さきにおしへ、心のおよびがたき事をバ、其人の心のほどくる所を見わけて、次第/\に、深き所の利を、後におしゆるこゝろ也。されども、おほかたハ、ことに對したる事などを、覚さするによつて、奥口といふ所なき事也。

されバ、世の中に、山の奥をたづぬるに、猶奥へゆかんと思へバ、又、口へ出るもの也。何事の道におゐても、奥の出合ところも有、口を出してよき事も有。此戦の道におゐて、何をかかくし、いづれをか顕さん。

然によつて、我道を傳ふるに、誓紙罸文などゝ云事をこのまず。此道を学ぶ人の智力をうかゞひ、直なる道をおしへ、兵法の五道六道のあしき所を捨させ、おのづから武士の法の實の道に入、うたがひなき心になす事、我兵法のおしへの道なり。

能々鍛錬有べし。

 

注釈

特にありません。


04. 2月 2012 by outsidervoice
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88) 風之巻 ★ この巻のおわりに

サッカー語訳

以上のように、他流のサッカーについての概要を9か条に分けて記しましたが、どの流派であるか、口なのか奥なのか秘伝なのかなどをはっきりとは書きませんでした。各流派そして人によってもサッカーに対する解釈は様々で、また、それぞれの流派の系統も今後大きく変化していくはずですから、大きな9つの傾向のみを書き残しておこうと思いました。ロングボールに偏ったり、ショートパスにこだわったり、強さに固執したり、粗かったり細かかったり・・・。どの流派であるかではなく、それが間違っていることを知って欲しかったのです。

私の「二天一流」には、蹴る技術の奥も口もなく特別なシステムもありません。大切にしているのは、正しいことを心で理解することだけです。

 

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

右、他流の兵法を九ヶ条として、風之巻に有増書附所、一々流々、口より奥に至迄、さだかに書顕すべき事なれども、わざと何流の何の大事とも名を書記さず。其故ハ、一流々々の見立、其道々の云分、人により心にまかせて、夫/\の存分有物なれバ、同じ流にも、少々心のかはるものなれバ、後々迄のために、何流の筋とも書のせず。他流の大躰、九つにいひ分、世の中の人のおこなふわざを見れバ、長きにかたつき、みじかきを利にし、強きとかたつき、あらき、こまかなると云事、ミなへんなる道なれバ、他流の口奥とあらはさずとも、皆人のしるべき儀也。

我一流におゐて、太刀におくくちなし、搆に極りなし。只心をもつて、其徳をわきまゆる、是兵法の肝心也。

 

注釈

特にありません。


03. 2月 2012 by outsidervoice
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89) 空之巻 ★ 「二天一流」のコンセプト

サッカー語訳

「二天一流」のコンセプトを、最後の空之巻に書き記します。

空とは物事のかたちの無いこと、知り得無いこと、つまり、無いことです。有るところを知って無いところを知る。これが即ち空です。

世間では、判断が及ばないことを空と勘違いしているところがありますが、それは本当の空ではなく迷う心です。サッカープレーヤーとしてサッカーを行っているのに、サッカーの法を知らずに迷っているようなことです。

サッカーの法則を確実に身に付け、朝夕の鍛錬に励み、心と意の2つの心を磨き、観と見2つの眼を磨ぎ、迷いの雲が全く晴れた状態がサッカープレーヤーにとっての本当の空です。

仏の道でも世間の様々な道でも、正しい道を知らない間は今自分歩んでいる道が正しい道と思い込んでいるものです。しかし、今の自分よりも広い世界からその道を見れば、心にある偏見や歪みを反映した正しくない道であることがわかります。

本質をよく知りそれを基本とし、実際に効果のあるプレーの幅を広げ、隠すことではなく正しく行うことに集中し、成長した先の大きな世界を思い描いて、サッカーを行ってください。空を道とし道を空と見るのです。

空は善有りて悪無し
智は有なり
理は有なり
道は有なり
心は空なり

1646年5月12日  新免武蔵玄信

寺尾孫之丞殿

★ 原文・・・『武蔵の五輪書を読む』(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」)より

二刀一流の兵法の道、空の卷として書顯す事。

空と云心ハ、物毎のなき所、しれざる事を、空と見たつる也。勿論、空ハなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則、空なり。

世の中におゐて、悪く見れバ、物をわきまへざる所を空と見る所、実の空にはあらず。皆まよふ心なり。此兵法の道におゐても、武士として 道をおこなふに、士の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、是、実の空にはあらざる也。

武士ハ、兵法の道を慥に覚、其外、武藝を能勤、武士のをこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心をミがき、觀見二つの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、実の空と知べき也。

実の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\ハ、慥成道とおもひ、能事とおもへども、心の直道よりして、世の大がねにあハせて見る時は、其身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、実の道にハそむく物也。

其心をしつて、直成所を本とし、実の心を道として、兵法を廣くおこなひ、たゞしくあきらかに、大き成所を思ひとつて、空を道とし、道を空とみる所也。

( 空有善無惡
智者有也
理者有也
道者有也
心者空也 )

正保二年五月十二日  新免武蔵玄信

寺尾孫之丞殿

注釈

特にありません。


02. 2月 2012 by outsidervoice
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