#0109) 理論とイメージ

娘は、割と得意としていた中長距離走ではなく、短距離走の大会に出始め、その練習をときどきしています。

娘は小学生なので、とりあえず、直後に足が浮くなどの明らかに間違えたスタートの仕方を直し、短距離の距離感に慣れ、速く走ることに関係ある筋力がつくだけでも、記録は上がってきます。

でも、それだけでは私の方はつまらないので、有名ランナーが書いた本から科学者によるバイオメカニクス本まで、速く走る方法に関する本にいろいろと目を通しているところです。

今私が理解している状況はこんな感じです。
速く走るメカニズムについては、昔に比べたら格段に科学データがあり、そこから導き出される理想的フォームに近づけるべく、たくさんのコーチが一生懸命指導しているが、選手がどういうイメージを持って走れば理想的フォームに近づけるか、ということがあまり考察されていないので、選手が体得することは難しい。

選手が描くイメージについて考察されていないので、もちろん「選手個々の」描くべきイメージの違いへの考察もありません。また、私には、速く走ることに関する科学は、身体という物体移動に関して浮力や慣性など重要な要素をいくつか見逃しているように思えます。バイオメカニクスを取り入れている国かどうかと選手のタイムとの相関が無さそうなのは、まだ使える科学でないということなのかも知れません。

ということで、小学生の娘に教えられることは、明らかに無駄な動きを避けることと、体全体の筋力を地道につけることと、ゴールに向かって速く走れることにつながるイメージをいろいろ探してみることかな、と思っています。

09. 5月 2014 by outsidervoice
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#0108) 自分らしく生きるなんて

多くの人が親になったときに、「これで、わかりやすい生きる目的ができた」と安堵します。

やっと「自分」よりも大切と言っても誰にも咎められないものを獲得できたわけです。これで自分の存在理由や価値など答えのないことを考えなくていいわけです。

で、その親の多くが子どもに「自分らしく生きろ」と言っています。

他人のために生きることのほうが、生き抜くモチベーションになることを経験していながら。その他人からは、生き抜くモチベーションを奪おうとしているわけです。

11. 3月 2014 by outsidervoice
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#0107) 確信をもってサボれ。自分や組織のことを考えるのなら。

以下のような話が、すばらしい話として話題になっているのを知りました(今頃?)。

『1.01』と『0.99』の法則が非常に深いと話題に

そして、上記を参考にした文章。

99%でよしとし続けるか、101%やりきり続けるか。その差は1年で「1451倍」に。

 

これらの文章は、悪意があるものではないとは思いますが、間違っています。そして実は、非常に危険です。

この数字の累乗の比較の意味するものは、1%得(あるいは拡大し、あるいは構築し)続ける人(それが101%)と、1%捨て(あるいは縮み、あるいは破壊)続ける人(それが99%)との差が、どう広がっていくかを示す数字です。毎日蓄積し(構築し)続ける人と、同じ比率で捨て(破壊し)続ける人を比べれば、1年も経てば大差がつくのは当たり前。

ここで使われている「さぼる」とは、手を抜くことで、積極的な破壊を意味していません。つまり、努力することが101%(1.01)ならば、さぼるとは100~101%(1.00~1.01)のことで、「少しさぼる」の意味を数字に反映させると、100.99%(1.0099)のはず。

2番目の文章では、力を99%出す人(少し余力のある人)と101%出す人(少し無理している人)の比較とされていますが、その2者の成果を比べるとしたら、想定限界生産量を100とすると、99×(○日)と101×(○日)の違いで、この場合365日後では、36135と36865の違いで、つまり何日経っても2%しか違いません。つまり実は、ギリギリのところで多少がんばっても、ほとんど意味はないということ。

さらに、無理をするということは、無理を強いている人間や機械を少しずつ破壊しているという危険性があります。その危険性は、まさしく、引用した文章の中の99%(0.99)であらわされてものです。つまり、0(破滅)に向かってじわじわと進んでいる、それなわけです。

101%を誰かに求めて、結果として、じわじわ破壊していく。

上記の引用記事が深い話として受け入れられているのなら、もしかしたら、企業や教育やスポーツなどの様々な現場で、破壊が良心的に行われているのかも知れません。

 

ここで明るい話?をしましょう。少しさぼることで破壊の可能性を低くできるなら、何日か後の結果は、非常に明るいものと予想されます。

 

01. 3月 2014 by outsidervoice
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#0106) 「時は金なり」の起源が笑える話

Time is Money. ・・・そんなわけないだろ、と思い始め、その起源を調べると、どうも、ベンジャミン・フランクリンのたわごとのようです。

ベンジャミン・フランクリンというのは、アメリカ建国の祖のひとりとか言われて100ドル札になっているベンジャミン・フランクリンです。

そのベンの1748年の著書”Advice to a Young Tradesman”の中のアドバイスが以下です。

「時は金であることを忘れてはならない。1日の勤労によって10シリングを稼ぐ人が、戸外で散歩したり、室内でぶらぶら過ごして半日をついやすとすれば、たとえ娯楽のために6ペンスしか使わなかったとしても、それだけを浪費したと考えてはならない。そのほかに5シリング得る機会を失ってしまったことを忘れてはならない。」

なぜ、「たわごと」と書いたかわかると思います。これは「おい若造、時はぜんぶ金に換算するもんなんじゃ」という無茶苦茶なじじいの話です。この頭が悪い話に、あなたは納得できますか?

ちなみに、Time is Moneyは基本的にTime=Moneyを意味していますが、Money is Timeとひっくり返すと、怪しさがわかりやすいでしょうか。全然=ではないから、受け入れ難い文になるわけです。ただ、Time is Moneyはなんとなくわかる感じがしてきたというのは、なんか、仕掛けがあるんでしょうかね。あるいはいわゆる洗脳みたいなもの・・・?

 

(追伸)

A is Bは、A=Bを強く意識させますが、いろいろな例を考えると、AがBに属していさえすれば、A is Bの文に違和感がないようです。しかし、通常の場合、B is Aとひっくり返しても、AとBの関係性をそのまま意識できるのですが(例えばan Animal is Manとか)、Money is Timeとなると、ここに関係性をイメージすることはいろいろと屁理屈を付けない限り困難です。関係性が希薄な2つの言葉をつなげて、それを=と意識させているのが(時の金額換算を当然のことと思わせるのが)、Time is Moneyという文の作用のようですが、これに納得してきた歴史は、Time=Moneyの思想にプロパガンダされてきた歴史なのかも、です。

Time=Money。 これ、今の経済やビジネスなどの大前提じゃなかったでしたっけ?

 

 

31. 1月 2014 by outsidervoice
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#0105) どんな人間になるかを選ぶ自由は常にある

こういうコマーシャルは、世界を確実に変えていきます。
最初のナレーションは、”In life, you cannot always choose what you do, but you can always choose who you are.”
簡単に硬い言葉を使って訳せば「職業選択の自由があるとは限らないが、どんな人間になるかを選ぶ自由は常にある」。

暴力を憎み、戦争からは逃げ、平和になると帰ってくるコンゴのお洒落な男たち。もっと詳しく知りたいほとんどの人たちに向けて、ショートドキュメンタリーも用意されています。

さらに彼らの写真を見たい人はこちら

 

19. 1月 2014 by outsidervoice
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