#0089) 「東北」「ヒロシマ」をテーマにした表現は、クオリティー評価を免れる。という世界は、まあ、ずっと続くのだろうけど・・・。

ここヒロシマでは8月6日が近づいたこともあって、観客の遠慮と我慢を前提にした、ヒロシマで味付けした東北テーマの最悪の表現に、出会うことが増えてきました。かつては、ヒロシマテーマの最悪表現についてだけ我慢していれば良かったのですが、バリエーションが増えたわけです。

こういうケースの場合、普段のように、レベルの低い表現に対してヤジを飛ばしたりするのは非常に難しい状況なのですが、家に帰ったら、自分の子どもと、それに対する率直な感想など話し合うようにはしたいと思っています。

 

05. 8月 2013 by outsidervoice
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#0088) 心温まる話

デイサービスから帰ったら、最大音量にすれば自分にも聞こえるテレビを点けて、ランドセルを背負った孫たちが向うの坂道をだんだんと家に近づいてくるのを窓から眺めているのが今一番の楽しみというおじいさんから、「そろそろ草を刈ってくれ」という電話がかかってきたのは、おじいさんの家の前の、私がなんとかしなければならない遊休農地の草が、孫の姿を見えなくするまでに伸びたからです。

おじいさんには今までお世話になっているので、快く、草を刈りに行ったわけですが、刈払機で草と一緒に、そこを住処にしている数多くのトノサマガエルとかトノサマバッタも切り刻んでしまいました。

 

そういえば、大量に刈り倒した貧乏草のおひたしが結構うまいらしいです。

18. 7月 2013 by outsidervoice
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#0087) 選挙の意義を見つけるのは難しい。

そろそろ娘から、選挙に関する質問が出る頃だなあ、と思って、ちょっと考えたのですが、

全くディテールの無い情報が書き込まれた投票用紙の集計から、どの程度の情報を得ることができるかを冷静に考えてみると、いかがでしょう?

統計やマーケティングの専門家でなくても、その超簡易調査の結果に、教科書などで語られているような民主主義的意味は全く無いことが、わかるはずです。

にも関わらず、選挙は、なぜ、こんなに美しく語られ続けるのでしょうか。こんな説得力の無い儀式の結果として生まれる議員のほとんどに、給与分の価値がないことも、必然ではないでしょうか。

地方に引っ越したせいもあるのかも知れませんが、政府とか国家を成り立たせているように見えるもののほとんどは、なるべく関わるべきでない部類の、相当ばかばかしいものであるという確信を深めつつあります。そもそも、この馬鹿馬鹿しい投票用紙でしかコミュニケーションを期待していない相手とのコミュニケーションが、可能とは思えませんが・・・。

07. 7月 2013 by outsidervoice
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#0086) もったいない(世間に広まった意味とは違うニュアンスで)

#0084で触れたプログラムとはまた違うのですが、県の最高峰を争っている高校女子サッカーチームのサポートの元、そこの監督から女子小学生(未経験でもOK)が指導を受けるという、もったいない無料講習に娘が参加してきました(このあたりの小学生は恵まれてますよね)。で、親は見学しました。

私が現場を知っている30数年前の男子高生プレーヤーのレベルを、はるかに凌駕する女子高生プレーヤーの小学生それぞれの資質やレベルや空気を読む力と、監督が組んだ完璧な指導プログラムの力によって、サッカー大好き女子小学生はもちろん、ほぼ未経験のうちの娘も、10分後には笑顔で熱中したのでした。

娘の感想は「すごく楽しい」くらいのことだと思いますが、隔世を目の前にした私も「すごいなあ」くらいのことしか言葉としては出てきません。

サッカーの現場がこれほどまでに変化したのなら、きっと、他の多くのことも変化しているはずですよね。そして、その中には同じように「すごいなあ」くらいしか言葉にできないような変化も多くあるはずですよね。

で、そのうちのどれだけを見逃して生き続けているかを、少し反省しながら生きてみようかと思うのですが、その見逃してきたものをできるだけ見るためには、どうしたらいいんですかね?

06. 7月 2013 by outsidervoice
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#0085) 大きなリスクのある物事は、そのリスクが及ばない場所や立場に在ると思っている者によって奨励・推進される。

娘にシリア内戦の理由を聞かれて、少し考えてみたのがタイトルです。なんか当たり前のことですけど・・・。

戦争であろうと原発であろうと金融政策であろうと、リスクが及ばない(と思い込んでいる)者にとって、その利益を追求しない理由はないわけで・・・。

娘には、このことに一生気をつけてほしいと思うのでした。リスクを想像することは、無視することよりはるかに面倒くさいので、つい、自分の利益に見合わないだけでなく意味も無いリスクを受け入れがちですし・・・。

 

29. 6月 2013 by outsidervoice
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