#0079) get back to normal でしたっけ?
キャッチボール相手の娘の暴投を追いかけて石垣に膝を強く打ち付けて、ちょっと積極的には動けなくなった機会に、静かに考えてみました。
今回の問題は「自分の仕事は何か?」。
先日、高校時代の同級生の集まりがあって、いろんな人から「仕事は何か」と聞かれる度に、そのとき思いついたことを答えていると、そのいい加減さに自分でも少し居心地悪くなってきたので、今後は即答できる確固たる正答を見つけておこうかと・・・。それが他人にわかりやすいかは置いておいて・・・。
で、落ち着いて考えてみると、・・・まあ考えるまでもなく、自分の仕事は「企画」です。繰り返しになりますが、他人にわかりやすいかどうかは置いておいて・・・。対象分野は限定していませんが、なるべく普通のものにならないようにしています。自分に収入が入ってくる場合もあれば、支出だけの場合もあります。
かつて、その「企画」について考え続けるためのブログをやってましたが、原発事故直後にそれに関する「企画」に集中して、3ヵ月後、原発事故関連企画と同時にそのブログ自体をやめてしまって、そのタイミングで自分の仕事が「企画」だということも忘れてしまってました。
ということで、自分にとってのノーマルとは「企画」すること。「企画」していさえすれば、おそらく気分は割と平和です。
もう一度、様々な「企画」に関するブログを始めようかと思ってきました。
娘は、広島に来てから、まだまだノーマルという感覚には程遠いようですが、新たなノーマルを見つけてくれればと思います。
一緒にコナンの映画を観に行きました。いろいろ考えさせられました。唯フィクション論みたいなことを。
#0078) 破竹を切りながら
#0076の写真の荒地に生えている竹は、孟宗竹ではなく破竹でした。
その破竹を切っていると娘は「自然破壊だ!自然破壊だ!」と叫びますが、まあ、その通りなので、「自然破壊日記」というブログを作ろうかと思ったりしています。娘が「里山」みたいなことを習うのはいつでしょうか。
山藤の季節で、その周りを熊蜂が飛び回り、娘は怖がって車の中に逃げ込んでいました。
私はさらに破竹を切っていると近所の人たちがやってきて、いろんな話をしていきます。主には私の親が放っておいたため大きくなった不具合を修正してほしいという要望です。その中には、なかなか難しいことも含まれています。
ということで、その荒地を、いろんな意味で今よりも美しい場所になるべく早く変えていかなくてはいけないわけですが、財力が無いので、当たり前でない知恵をしぼり出すしかありません。「美しく人にも自然にもやさしい効率的経済的自然破壊」の仕方。その荒地の位置から考えると、周囲の環境に結構大きな影響(迷惑)を与えているので、「そんなやり方は欺瞞だ」とか「邪道」だとか思っている余裕も無いことにします。で、まずは「電気」の引き込みからと、今のところ考えています。
なんか文章ではわかりにくい世界になってきたような・・・。なので、もし「自然破壊日記」を始めるとしたら、それはたぶん映像で。
(というか、他人に伝える価値があるのかどうか、よくわかりませんが・・・)
身の周りの状況(広島のこと)をもう少し把握したいと思ったので、中国新聞の購読を始めました。日経との距離感はなかなか面白いです。テーマの選択も大きく違いますが、国際情勢の分析の仕方まで大きく異なるんですね。この距離の大きさだけでも価値がありますが、違うものが少なくとも2つなければ「距離」もないわけで、「価値」を維持するために2紙併読中です。
#0077) 「経済成長なくして福祉国家なし」あるいは「福祉国家のための経済成長」と、あまり言わないのはなぜ?
上品で知的で心優しい人たちの多くが、よりミニマムな生活に憧れるだけでなく、それを実践しようと努力していますが、そんなことを可能にしてくれているその社会システムの中では、その努力は結局、主にはその当人の個人財産の効率的維持保全という、強欲の結果と見なされるものに貢献しているだけではないかと・・・。
福祉を熱く語る人の多くが経済(成長)を忌み嫌うことも、その辺を意識していないことが絡んでいるのではないでしょうか(自分の思考にもそういう傾向が出る場合があります)。
経済成長と福祉との関係については、だいたい「福祉重視が経済成長を阻害した」という風に語られるのですが、同じ状況を「経済成長率が低くなったため福祉重視が無理になってきた」と言うことも可能です。どちらが原因でどちらが結果であるかが、実際にはわからないからです。
福祉と経済成長の密接な関係について、非常に頑張ってネットに記事を書かれている方がいました。
これを書いた方、こつこつとたくさんの記事を書かれているようです。
娘はなにかを反省中。この記事とは関係ありませんが・・・。
新しい学校には、少しずつ慣れてきたようです。そして、ますますカープマニア。
#0076) まずは溝さらいから
#0074で書いた土地の話です。
その土地の縁にある溝の落ち葉や土をさらったわけですが、機械を使うわけではないので、土地全体を眺めつつ近場をつつきつつ考える時間があるわけです(娘は学校なので、ひとりでの作業ですし)。
そうやっていると、落ち葉を取り除いたときに顔を出す木や草の芽の香りなどによって、その土地と対話ができたかのような、まあ勝手な思い込みが出来上がってきます。
それに従うと、一角に火を使う場所を作り、積もりすぎた落ち葉を燃やしつつ、灰を畑にまき、竹を切り、乾燥したら炭にすることになります。
要するに、そこは、人が手を入れることを待っている場所だという思い込みです。
あるいは、この場所が、そうするように私を誘導しているという思い込み。
気持ち悪い書き方をすると。
まあ単に、今の状態を美しいとは思えないという話です。理由はよくわかりませんが。
おそらく、巨大な箱庭療法のようなことを始めようとしているんだと思います。
#0075) どうせなら話として面白い行動をしよう、と教えたわけではないけれど
娘は転入した学校でいきなり副クラス委員に立候補して、3人で争って、(挙手による)得票ゼロで負けたそうです。
どうせなら副ではないクラス委員に立候補すれば良かったのに、という気もしましたが、かなり大胆だと感じました。派手な「手探り」だなあとも思ったり・・・。
ニヤニヤして娘の1票のための挙手をする児童がひとりも居なかった場所で、娘のちょっと外れた性格が受け入れられるのかどうか不安な感じがしないでもありませんが、性格が全く違う私には娘が考えていることとか、娘の性格がどのように受け止められているのかとかのディテールが想像できません。ふと思い出したのですが、そういえば以前に、6年になったら児童会長になりたいという野望?を語っていました。なりたい理由が全然わからないのですが、その前準備のつもりだったのでしょうか・・・。
そういえば、「野望」というつながりだけで話が変わりますが、ここ広島は「核兵器廃絶」という「野望」を何十年も抱き続けている街で、今も、その息遣いが至る所に感じられます。民家の庭先に核の危険を無視する政府に抗議する自作の文章が貼ってあったり、学校の正面に核戦争の危険度を表す時計があったり・・・。まあ、なんと言っても、平和公園の原爆ドームは、夜になると、その「野望」を発散させるかのように、キラキラと美しく輝いています。
で、実質的に「正論」とか「正統」であったことはないので、ずっと「野望」のままですが、かなり魅力的な「野望」だと思いません?
北朝鮮関連の報道が全くそのポイントを避け続けていることが示しているように、全くコア(核)なところにあるものですし・・・。
こんな絵を描いている娘のお気に入りである広島カープですが、今年はちょっと「野望」が滲み出ていて面白いです。
そういえば娘が、「カープって、ずっと金魚のことだと思ってた」と言ってました。「赤いし・・・」。




