#0074) サンダルが降ってくる土地

娘の春休みに、広島に引っ越してきました。

娘は、昨日やっと1勝した広島カープの応援をしつつも、毎日けんかしていた友だちがいないので横浜に帰りたいとブツブツ言っていますが、学校が始まったら、どんな感じになるでしょうか。

私の方は、何か感じがつかめません。周りの景色は違えども、横浜に居たときと同じ仕事ばかりしていたりして、こちらに来てやろうとしていたことを何も始めていないので・・・。

 

ところで、星新一のようなストーリーがありそうな?タイトルの件ですが、こちらに来てやろうとしていたというか、どうしたらいいのか、やりようが難しい場所の話ですが、写真をどうぞ。

IMG_0515[1]

 

この話を聞かされた100人中100人が馬鹿馬鹿しいと思うと思いますが、こんな風に、サンダルが降ってくるわけです。そこら辺一帯に、持ち主不明の、いろんな種類のが。近所の人とのあいさつは、「そっちには、なんぼあった?」。

正直言いますと「降ってくる」のは見たことがないので、「いつの間にか、いろんな場所に、いろんなサンダルがある」というのが正確な記述ですが、まあ、降ってくるというのが一番面白いかなというのと、サンダルの分布の感じを伝えやすいかなと・・・。

そういえば、小川には鶴も来てました(これも普通に考えると、嘘っぽい感じですが・・・)。

 

で、一番の問題は、この土地からの大量の落ち葉が用水路を塞いで、近所の農家に多大な迷惑をかけていることだったりします。みんな遠慮して「ええよ。ええよ。」と言うのですが。

05. 4月 2013 by outsidervoice
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#0073) 悪役敵役が魅力的でなければ、売れる話にはならない

意見や主張、あるいはフィーリング?の合わない相手のことを、単純なアホであると設定するのは、人の本能なのかも知れません。

たとえば、相手の方は、思考や感情がまったく単純で、金のためだけに動いていて、善意よりも悪意で動いているというような設定ですが、相手のレベルを低く見積もると言うのは、まず戦略的にも問題があります。実際よりも低いレベルの相手を想定した戦略が、実際の相手に対して機能することはないからです。

また、そのように単純化した話はつまらなすぎて、味方と想定している層にさえ、浸透しません(表向きの賛同は得られても・・・)。

そして、こういう失敗を、知識があると自負している人たちが、延々と繰り返しているのは、彼らが信じているその「知識」やそれを基にした判断が間違っているというか、現実とは関係ないということではないでしょうか。

この無謀に単純化された「知識」は、本人の全能感を高めると同時に、現実に向かう力を削いでしまうために、精神を壊す方向にある非常に危険なものだとも思えます。

 

たぶん、自分の能力の大したこと無さと知識の至らなさ加減を体感すること、つまり精神を壊さない方向に思考を向けることが、スポーツやそれに類する競技的なものの最大の機能という感じがしています。そして見渡すと、実はその「競技的なもの=ゲーム」の仲間に入れることができるものが、社会にかなりあるような感じがします。

しかし、それらのゲームの多くは、前記の「知識」では機能とは違う理由で否定的に扱われているものです。ということは、精神に肯定的に働くだろうゲームを機能させるためのストーリーの悪役敵役が、その「単純化知識人たち」みたいなことになりますが、この場合、悪役敵役を魅力的に描くのは、なかなか困難そうではあります・・・。でも、たぶんそれこそが、ここから先に進むための鍵なんだとは思います。

 

大雑把な話にしますと、精神的なトラップから逃れるためには、まずは否定しているもの否定したいものを魅力的に描いてみること。そういうことではないかと考えています。

Quand la ville dort: les trains ne sifflent pas
Les sept Mercenaires n´ont pas l´once d´un combat
Harry désormais est proche de gare de l´Est
Il saute les époques et les lieux pour un nouveau Far-West
Les saloons sont des bistrots, on y vent des clopes
Pas de la chique, du top ! Du CinémaScope
Il entre dans le bar commande un indien
Scalpe la mousse, boit, repose le verre sur le zinc
Une 2 chevaux se parque, saouls, des types se beignent
Pour des motifs futiles comme dans
Les nouveaux westerns

Les States sont comme une sorte de multinationale
Elle exporte le western et son modèle féodal
Dicte le bien, le mal, Lucky Luke et les Dalton
Sont camouflés en Paul Smith´s et Weston
On dit que ce qui compte c´est le décor
L´habit ne fait pas l´moine dans la ruée vers l´or
Dès lors les techniques se perfectionnent
La carte à puce remplace le Remington
Mais Harry à Paris n´a pas eu de chance
On le stoppe sur le périph´ avec sa diligence
Puis on le place à Fresnes pour que Fresnes le freine
Victime des directives de ce que l´on appelle
Le nouveau western…

Parfois la vie ressemble à une balle perdue
Dans le système moderne se noie l´individu
Pour rester lucide il s´abreuvait de Brandy
Désormais on brandit, télé, shit et baby
Blanche est la Chevauchée Fantastique
Toujours à contre-jour, c´est bien moins héroïque
Dans le monde du rêve on termine par un
Est-ce aussi le cas dans ce que l´on nomme
Le nouveau western.

22. 3月 2013 by outsidervoice
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#0072) 炭鉱のカナリアとしての酔っ払い

自分は酔っ払うまで飲めない体質でありながら飲み会が嫌いではないので、昨夜も昔から知っている先輩とか仲間とかと飲み食いしていたのですが、酔っ払いの価値について今頃になって明確にわかりました。

というのがタイトルの意図ですが、どういうことかと言いますと、酔いが進んでいくと、発言が非常に鋭くなる段階があるわけです。今まで意識することもなくどっぷり浸かってしまっていた奇妙な価値観を認識させるような、あるいは揺るがすような言葉・・・。これは一般人が気づいていない、この世界という炭鉱に漂う、充満すれば爆発を引き起こしてしまうガスに対する素早い反応ではないかと・・・。実際のカナリアの鳴き方を知らないことに今気づきましたがそれは置いておいて、酔っ払いカナリアの断末魔の鳴き声(たいていは短時間で終わるようです)が、この思い出させたり揺さぶったりする発言だということです。

で、カナリアの場合はそのあとパタリと息を引き取るわけですが、酔っ払いカナリアの場合は、そのあとにどうでもいい迷惑なだけの泥酔者に成り下がります。脈拍ではありませんが価値がゼロになるので、まあ、同じような死と言えるかも知れません。

 

ところで、多くの場合、鋭い「カナリア断末魔発言」をカナリア本人も周囲のカナリアたちも覚えてはいないので、飲めない体質の私などが記録しておかなくてはどこにも残らないということにも、昨夜やっと気づいたわけですが、昨夜、ある酔っ払いカナリアが言っていた事の骨子を書きますと、「人に大きな影響を与える(変化を生み出す)ことを必要とされている表現は、酔っ払いカナリア的表現でなければならない。もし、表現の影響力が十分でなかった場合、環境や社会など表現外に原因を求めるのではなく、それが酔っ払いカナリア的表現ではなかったこと、ガスそのものでしかなかったことを反省すべき」ということでした。

まあ明らかに、他には誰も覚えていないですね。それに値する幻想的な発言という気がしないでもないですが、自分はこの発言どおりに考えることにしようと思いました。

Turn off your mind, relax and float downstream
It is not dying, it is not dying
Lay down all thoughts, surrender to the void
It is shining, it is shining
That you may see the meaning of within
It is being, it is being

That love is all, that love is everyone
It is knowing, it is knowing
That ignorance and hate may moum the dead
It is believing, it is believing
But listen to the color of your dream
It is not living, it is not living
Or play the game existance to the end
Of the beginning, of the beginning,
Of the beginning, of the beginning,
Of the beginning, of the beginning,
of the beginning…

 

21. 3月 2013 by outsidervoice
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#0071) 画期的なエンジンについて独学で20数年間考え続け、ついに特許を取ったある介護福祉士の話

理系であったことすらないその介護福祉士である友だちから特許取得の電話をもらって以降、彼がごく近い日に、名声と、ついでに大金を手にすることを日々祈っています。そうなったときの、うちの娘が今後過ごす社会の居心地への少なからぬ影響にも期待しつつ。

そのエンジンの「画期的」具合が自分には全然わからないながらも(詳しい技術解説もまだ聞いていないのですが・・・)思い入れています(「客観的にも画期的であればいいなあ」というのも祈りの?内容のひとつですね)。

 

まあ、誰でもそんなことが可能ということではないのですが、誰かが歩いたことがあるような気がする道は、はるかに歩きやすいわけですし・・・。

 

それから、20数年間考え続けること自体が、楽しそうでしょ? 50年とかなら、さらに楽しいと思いません? 特許などという明確な結果の有無に関わらず。

 

18. 3月 2013 by outsidervoice
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#0070) 土の話

土の勉強をしています。少しずつですけど。

以前のこれとは違うブログで、セシウムが土の表面に降ったときから、土についていろいろ調べてみたり、セミナーに出てみたりしてきましたけど、丁寧に作られたこの教科書を読んで、やっと、土の全体像が、おぼろげながらも感じられるようになってきたような気がします。

何と言うのでしょうか、畏敬の念みたいなのを感じながら読んでいると、娘が学校から「自然を大切にしよう」というテーマでのグループ制作物を持って帰ってきました。

自然礼賛のほとんどが気持ち悪いのは、その礼賛が、無視とかナメていることと同じだということに自覚がないからですよね。礼賛しておけばカタチになるし、間違った知識でも、安易な思考でも、自然の味方であることを表明しておけばOKみたいな。

エコのことでも書きましたが、何のために、こういうポーズを小学4年生に教えているんでしょうか。教えるのは、破綻していない普通の理科だけに絞っておいた方が、良いのではないでしょうか。

 

もし「自然」を教えるのなら、津波もですが、原発の爆発も、除染利権のことも、アベノミクスと呼ばれているもののことや、統計操作のことや、世界のお金のネットワークのことや、株価のことや、安易な自然礼賛や、あと、昨年の夏にスリッパでたたき殺したゴキブリのことなどの諸々を、その「自然」の中に含めたらどうでしょう? 役に立つのは、たぶん、そうやって考えたことの方じゃないかと・・・。それに、そういう「自然」に、畏敬の念を感じませんか?もしかしたら、(巷の宗教よりも)宗教的とも言えるものを。

そして、自然は大切にしたりしなっかたりする対象かどうかを、ここから考え始めるといいと思いません?

 

豚

土日連日の大会で娘のロードレースシーズンは終わりました。娘自身の評価では、土曜がまあまあ満足で、日曜が想定外のダメさだったようですが、私には土曜も力を出し切ることからはほど遠かったように見えました。おそらく娘はそういう風に力をセーブする性格なのですが、まあ、それは怪我をしにくいということかも知れません。夏には800メートルの記録会に出たいそうです。

14. 3月 2013 by outsidervoice
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