#0053) リサイクルの浸透とデフレーション。あるいは、インフレターゲットがターゲットとする数字ではなく分野の話。

1年半前に6万円弱で買った窓用エアコンをリサイクルショップにもって行きました。5,000円いただきました。

ブックオフで本を売るときも同じですが、所有している間のモノの価値の減衰は、自分の将来の購買意欲も確実に減衰させるのでした。

「結局リサイクルショップに売るようなモノは、もう絶対に買わないぞ」と。

この思考の中で、購買意欲が残るモノ(後悔が想定されないモノ)は、最後まで使い尽くしたいし使い尽くせるモノか、所有時間によって転売価値が下がらない(あるいは上がる)モノということになります。

「最後まで使い尽くしたいし使い尽くせるモノ」が何なのかの答えは難しいですし、人によっても違うでしょうが、「所有時間によって転売価値が下がらない(あるいは上がる)かも知れないモノ」については、一般的な答えが簡単に想定できます。

無茶苦茶簡単でいい加減な展開の文ですが、結論としては、数年間のインフレがあるとすれば、大きな分野では金とか株とか土地などということになります。そして小さなところでは骨董品や美術品でしょうか。かつてのバブルと何が違うのかですが、それは、製造物などに来る余波がますます大したことがなくなる、それからより世界全体を巻き込むということではないでしょうか(世界全体を巻き込むことと、人それぞれの中でどれだけの重みがあることなのかは、それほど関係ありませんが)。

 

さてここで、さきほど考えるのをやめておいた「最後まで使い尽くしたいし使い尽くせるモノ」の話に戻るのですが、この辺は、あまり経済政策とかに向かないと思います。金額で計算できないモノが多そうですし。「存在」みたいな感じのモノとか・・・。

 

以上のようなことを昨日、車の中で考えました。行き先は娘の要望に沿って下の写真。#0011とも関わりますが、「子どもを食い物にする資本主義」と言われるものが充満した空間です。でも、食う側の勢いは全然ありませんでした。人は何万人もいましたけど・・・。勢いが無いのは、金のことか段取りみたいなことしか考えていないからですね。国の「クール・ジャパン」政策みたいに。

IMG_0465

娘の一番の希望は、プリティーリズムのゲーム大会に参加することだったようですが、この人手の中で先着180名限定だかの整理券をもらえるわけもなく(子どもに弱い私は早起きに付き合い朝6時に現地に着いたのですが既に長蛇の列)、帰り道のショッピングモールで娘は同じゲームを少しやったのですが、そのモールの中庭では、トランポリンの上で安全ゴム紐を着けて5メートルくらいの大ジャンプを20回くらいさせてもらえるという商売(¥1,000)が行われていて(体重70kg以下限定)、ちょっと高すぎる(料金の方)と思いながらも娘のために支払ったのでした(自分の嗜好とは異なることばかりした一日でした)。

で、予想どおり娘の頭の中は以後、初めて経験した高さのジャンプ一色になっており、初めて経験した寒さに数時間震えた後の巨大イベント?のことなど、結構どうでもいいことになったのでした。

29. 1月 2013 by outsidervoice
Categories: 家庭, 生活, 社会, 算数 | Leave a comment

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